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栄光から栄光へ、鏡に映すように、主の栄光を反映させながら、キリストの似姿へと変えられていく。

1.世界の孤児アメリカが史上最も困難な時代に入った。

全世界から見捨てられたブッシュ政権がついに幕を閉じた。オバマ大統領の登場に時代の進歩を感じ、希望を託す人々もいる。たとえば、カウンセラー、中尾英司氏は記事の中で、「世界が変わる兆しが見え始めた」と、大統領夫妻の登場を涙さえして迎えたと述べている。

だが、「鳩のように純真」なだけでは十分でなく、「蛇のように狡猾であれ」と命じられているクリスチャンの一人として、筆者は、中尾氏の人柄のよさには感心させられながらも、それでも、オバマ政権がアメリカと世界を少しでも方向転換させてくれることに希望をつなぐことはできないと考えている。いや、むしろ、ブッシュとは対極に位置するように見えるオバマ政権の下でこそ、アメリカは史上最悪の苦難に突入することだろう。

性善説に立つ中尾氏に対して、ニヒリスト的クリスチャンである筆者は、性悪説に立ってものを考える。筆者は「時代の進歩」という言葉を信じない。ドストエフスキーが『地下室の手記』の中で述べているように、時代が進んだからと言って、人類の残虐性が少しでもおさまったことがこれまであっただろうか。いや、兵器の質が上がったことも手伝って、人類の血の河は昔に比べてますます太くなり、今や海のように流れている。なのに、なぜ人々は、時代につれて人類が進歩するなどという妄想を信じようとするのか?

Dr.Luke氏は、記事の中で次のように述べている。「この数年、私は『現代、私たちは巨大なフェイクを見せられている』と書いているが、オバマはその最終段階に選ばれた器であるようだ。」
筆者も幾度か述べてきたように、終わりの時代にあっては、悪魔は光の天使の姿でこそやって来る。私たちは見せかけの美しさだけを見て判断せず、中身をじっくり見てからでは何事も判断できない。何事に対してもしっかりと目を覚ましておくために、オバマ政権も壮大な偽装物語の一環なのではないかという疑いをあえて持ちたいと筆者は思う。

よく考えてみて欲しい。オバマ政権に時代の進歩の兆候などが、本当に感じられるだろうか?
アメリカに住んだことのある日本人は、決まって、アメリカ人の人種差別意識の抜きがたい深さに言及する。黄色人種は、白人と結婚でもしない限り、黒人以下の扱いしか受けられず、社会における劣等のステータスから決して這い上がれないそうだ。そのような人種差別意識を何百年と維持して来たアメリカの一般大衆が、ここ最近の数年間で、急に黒人大統領を望むまでに、飛躍的に市民意識を向上させ、過去の人種差別意識を自ら反省して、撤廃するに至ったなどとは到底、信じられない。

黒人でも実力があれば州知事くらいにはなれる時代なのかも知れないが、実力だけで大統領になるのはまず無理だと思われる。オバマ氏の政治家としての経歴が、大統領になるには短かすぎるように思えることも気がかりである。ウィキペディアによれば、彼は1996年にイリノイ州議会上院議員となり、2004年に合衆国上院議員。日本での国会議員にあたるアメリカ合衆国上院議員としての経歴はたった4年だ。選挙で選ばれたアフリカ系上院議員として、彼はアメリカ史上3人目であり、オバマ氏の2004年当選時点で現職アフリカ系上院議員は彼以外にいなかったそうだから、アメリカの政治社会ではいかに未だ黒人議員というものが認知されていないかがよく分かるだろう。

また、アメリカではすでに大統領選そのものが不正にしか行われなくなっており、投票の集計のための機械はたった一つの会社によって独占され、選挙は単なるパフォーマンスと化して、全てが舞台裏で画策され民意など全く反映していないとの指摘がある。

「暗いニュースリンク」記事「票がカウントされないアメリカ」では大統領選の票の集計方法に大きな問題があることが指摘され、田中宇氏による記事「不正が横行するアメリカ大統領選挙」では早くも2004年にディーボールドの機械投票システムに大きな問題があることが指摘されており、オルタナティヴ通信記事「米国大統領選挙は当選者が最初から『何者かによって決められている』」でもやはり投票システムの問題が指摘されている。そして先に挙げた「暗いニュースリンク」の記事、「2004年度大統領選挙における電子投票システム不正への関与が疑われた重要証人が事故死」によれば、ブッシュの大統領選挙の不正疑惑に関する重要な証人であった人物の不審な事故死のニュースが伝えられる。このように、大統領選の不正に関する疑惑は未だ晴れることがない。

さらに、イスラム文化圏に旅行したことのある人なら誰でも知っているだろうが、バラク、フセインという名前はイスラムの人々には馴染み深い名前だ。バラクとは、モンゴル帝国の王族にも見られた歴史ある名であり、中央アジアのアジア人やムスリムには馴染み深い。だが、イラクのフセイン元大統領をあれほどまでに悪者として敵対し、イラク戦争が事実上、終結さえしていないうちに、ムスリムを思わせるファーストネームと、フセインという名をミドルネームに持つ人物を、アメリカ国民が自国の大統領に望むほどに国民意識が変わったとは、筆者は到底、信じられないため、驚く他ない。

日本に置き換えてみれば分かりやすいかも知れない。日本には白人優位主義の他に、アジア的人種差別感情も未だ残っている。現在の日本の政界は、「李首相」、「孫首相」、「黄首相」を自分の国の総理として受け入れられるほど成熟した世界市民意識を持っているだろうか? または、「東条英機」という首相の再登場を容認できるほどに、過去は過去としてきっぱり切り離せる心境になっているだろうか?
筆者には、バラク=フセイン・オバマ大統領がアメリカに誕生したのが、アメリカ国民感情の自然な流れに基づいてのことだとはとても思えない。

これらの事実から推測するに、アメリカ人自らが黒人大統領を望むほどに時代が進んだということは全くあり得ないことだとすぐに分かるだろう。従って、オバマ氏が大統領になったのは、「民意」ではなく、舞台裏による取り決め以外にはないというのが筆者の考えだ。
だが、仮に大統領選挙そのものが不正だったとして、なぜここに来て黒人大統領がどうしてもアメリカに必要なのか?

最も大きな理由は、アメリカ国家の延命策としての看板効果だと思われる。
これまでのブッシュ政権の印象があまりにも悪かったため、アメリカは全世界から非難を浴びて、今、政策転換を迫られている。恐らく、アメリカ国民でさえ、多くはこれまでの政策からの転換を望んでいるのではないだろうか。ハリケーン、カトリーナなどの災害時に見捨てられ、サブプライムローン問題で置き去りにされ、イラク戦争で大きな犠牲を払わされたアメリカの比較的貧しい世帯は、これ以上、社会的弱者が見殺しにされない政治のあり方を望んでいるだろう。

そこで、黒人である、社会的弱者の象徴のようなオバマ氏が大統領になれば、今までアメリカ社会で打ち捨てられてきた弱者は必ず彼に期待を寄せるだろうことは誰しも想像できる。オバマ氏は演説も巧みであるし、クリスチャンから見ても、古狸の政治家と違って、「サタンの毒素にまだ全身まみれておらず」(子羊通信のザアカイ氏の言葉の不正確な引用)、道徳的に清潔そうな印象をかもし出している。

さらに、イスラム圏の人々に親しみのある名前を持つ者が大統領になれば、ブッシュ政権のイラク戦争のために、これまでさんざんアメリカ離れを起こしてきた世界中のイスラムの国々の心を少しでもつなぎとめる効果があると人は考えないだろうか。そうせざるを得ないほどに、ブッシュ政策はアメリカ内外のイスラム教徒、世界のイスラム諸国からの巨大な反発を呼び、アメリカの孤立化を促したのだとも考えられる。

オバマ氏というスターは、バラバラになりかけた民意を一つにまとめるのに大変、役立つ存在だ。彼の醸し出す弱者に優しい、道徳的に清潔な印象は、あたかもアメリカが大々的に政策の方向転換をしたように見せかけるのに非常に有益だ。キング牧師の演説が盛んに引き合いに出されるのも、キング牧師の高い宗教性、道徳的潔癖さをオバマ氏にダブらせる効果を計算づくで狙ってのことだろう。オバマ氏は墜落しかけたアメリカ政府に吸引力を持たせ、ブッシュ政権のために地に堕ちたアメリカのイメージを浄化する看板役者として、あえて担ぎ上げられたのだ。

だが実際には、オバマ政権の取り巻きを見ると、これまでのアメリカの政策と変わる予兆が全く見られないとの指摘もある。(現在の筆者の理解度を超える内容のため、コメントは差し控えるが、次の指摘などは興味深い。「真理のある民主主義を目指す社会経済論」の記事、「オバマ政権に対する鋭い分析記事」「オバマ政権の実態」。)

演説の巧みさなどは決して内心と直結しないものだ。小泉元総理も計算された演出で人を惹きつけていたし、カルト化教会に騙された人たちはよく分かっているだろうが、詐欺師ほど弁舌は巧みなものだ。これはまさかオバマ氏が詐欺師だという意味で言っているのではなく、たとえ仮に彼がどんなに高潔な人物であったとしても、背後にある人々の力と無縁では行動できないという意味だ。
言葉と行いの二つに相違がある場合、どちらが最も信用できるかと言えば、それはもちろん、行いだ。言葉だけで人を判断してはならない。

オバマ氏は今後も巧みな弁舌で民意を惹きつけるだろう。しかし、そのようにしてアメリカの大衆は、オバマ氏の演じるショーに視線を釘付けにされているうちに、気づけば、世界金融危機、戦争という苦難の中で、ジェットコースターに乗ったように振り回されるだろう。未曾有の苦難がアメリカを見舞い、その中で、オバマ氏は「皆さん、私が一緒です、必ず勝利の日が来ます、最後まで試練を耐え抜きましょう」と国民にメッセージを送り、国民を辛苦から逃げ出させないよう、「団結」と「勇気」を呼びかけるスピーカーとなる。アメリカ国民全体が、ホイップクリームのチューブのように最後まで絞り上げられるその心理的下準備のために、オバマ氏は特別に招かれたゲストなのだ。その役目が終わった時が、彼の終わりとなるだろう…。アメリカの白人優位主義的政治家はきっと誰一人、心の底では、彼をアメリカ国民の父であるとは認めていないだろうから。

第二次世界大戦の最中、戦争に参加した国々のラジオからはしきりにプロパガンダ的な内容のメッセージが流されていた。愛国心、勇気、辛苦に耐える力、などの美徳を感動的な言葉でDJが述べていた。国民はスピーカーに涙しつつ耳を傾け、ラジオ記者は国民の英雄となった。記者の役割は、とにかく国民に非道な戦争を最後まで耐えさせること、希望のない泥沼の戦争が終わるまで、「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンで国民をまとめ、苦難から逃げ出すことを禁じることにあった。


2.娯楽番組「24」に見るアメリカの衰退ぶり

ご存知の人も多いはず、「24」というシリーズものの番組が今放映されている。アメリカにありがちなヒーロー物であるが、荒唐無稽ながらも、時事的で、迫真性がある筋書きなので愛好者も多いはずだ。このシリーズを知っている人は、番組にパーマー大統領という黒人の大統領が登場していたことをもちろん覚えておられるだろう。そしてローガン大統領がテロリストと結託して国を売り渡していた売国奴であったことや、黒人大統領パーマーが暗殺されたことも。

物語はあくまで物語、現実とは異なるものとして見なければならないが、物語が作成される裏には、製作者側の何らかの意図がある。たとえば、言論の自由のない国では、現実の社会では決して口にできないような批判を、架空の物語に託して、作者が読者に訴えようとすることはよくあるし、たとえ言論の自由がある国であっても、国民に一定の心理効果を与えることを狙って、番組が作られることもある。マインドコントロールのための番組作りは、カルト団体では常套手段だ。

筆者はものを書くことに携わってきた経験から、どうしても、物語の表ではなく、裏側に注目してしまう癖がある。視聴者の感情は、巧みな筋書きさえあれば、自在に動かすことができるということを、物語の舞台裏に回ったことのある人なら誰でも知っているはずだ。筆者の書いた稚拙な記事を通してでは、あまり納得できないかもしれないが、例を挙げれば、この記事の中でさえ、筆者は異なる文体を使い、それぞれの記事が全く異なる雰囲気をかもし出すように意図してきた。架空の物語も登場したし、性格の違う架空の人物も出て来た。まあ、あまり大した効果が生まれていない可能性はおおいにあるが…。

筆者が何を書けば、読者が増え、何を書けば、読者が減るかということも、ブログは確実に教えてくれる。「これ以上、記事を更新しません」と、筆者が今日、記事に書いたとしたら、それを信じて、明日はほとんど人が来なくなる。たとえば、前の記事に「キリスト教界のことはこれ以上書かないし、このブログもそろそろ終わる」と筆者が書いたので、キリスト教界に関心がある人々と、毎日新しい記事が見たいと願っている読者たちは、潮が引くように去って行ったようだ…。
キリスト教界のことを興味本位で調べている読者を面白がらせてあげたいというサービス精神は筆者には全くないので、読者数に関心はないが、いずれにせよ、自分の書いた内容と、人々の反応には明らかな因果関係があるということが分かった。この因果関係をきちんと理解しておれば、意図的に読者を増やしたり、減らしたり、読者の層をふるいわけたりすることが可能なのだ。

このように、計算されつくした演出効果を用いれば、人の気持ちはかなり簡単に操作することができるし、人の関心を高めたり、薄れさせたり、自分の言説に権威を持たせたり、腰を低く見せたり、笑わせたり、泣かせたり、絶望させたり、場合によっては、白を黒と言い含め、人を洗脳することさえ可能なのだ。最近はNHKの大河ドラマのように、登場人物がどんな心理状態で、どんな感情を持っているかまで、ご丁寧にBGMが解説してくれるような番組も多いが、しっかりした脚本があれば、BGMによる解説や、映像がなくても、かなりの程度、読者を内容に感情移入させることができるだろう。

こうして、創作的観点に立って見てみると、最近、アメリカのテレビ番組・映画作りのあり方が大きく変わって来ていることが分かる。

アメリカ人は長年、正義の味方、勧善懲悪のヒーローが大好きであった。かつて、アメリカ発の映画の典型的主人公は、熱血正義感で、健康な肉体を持ち、少しも後ろ暗さのない、明るい人物であった。ヒーローが罪悪感を持つようなことはまれであったし、トラウマに苛まれていたり、肉体的弱さを抱えていることもまれであった。第二次大戦の敗戦を経験し、歴史的罪悪感を抱え込む日本人の目から見れば、そのようなアメリカ型の典型的ヒーローの過剰なまでの自信やお気楽さは、非現実的、異常とさえ映るほどであった。

アメリカ国民のヒーロー好きのためだけにそうなったわけではない。ハリウッド映画産業は、「世界を救うヒーロー」のイメージをアメリカ国家そのものにダブらせることによって、アメリカを世界のリーダーとして全世界に宣伝し、アメリカ国家の良いイメージを広め、アメリカの威信を高めることに貢献してきた。特に冷戦時代はそうであったが、アメリカ映画は、世界へ向けて、アメリカの高潔で力強いイメージを宣伝するためのプロパガンダの役割を引き受けていたのである。

しかし、今日のアメリカ型ヒーローはだんだん、今までのような一枚岩の性格を持った、全く後ろ暗さのない、単純な正義漢ではなくなりつつある。むしろ、罪悪感を抱え、正義を見失い、善と悪との間で揺れ、迷いの中で生きているような、弱さを抱えた人間が頻繁に主人公に登場するようになった。(B級映画ではすでにかなり前からそうであったが、やっとアメリカ映画の主人公が全体的に普通になって来たとも言える…。)
それは「24」のジャック・バウアーもそうだし、次の記事で述べる「ラスト・サムライ」のネイサン・オールグレンにもあてはまる。

さらに、もっと驚くべきことが起こっている。アメリカでは長い間、大統領は全国民からの尊敬を集める、神聖な存在であり、国民の優れたリーダーであった。大統領の威信はアメリカの威信の象徴であり、大統領という職につくには、ただ並外れて有能であるだけでなく、人格的にも高潔であることが要求された。そのような意味で、ケネディの人気はアメリカでは未だ衰えないし、まあ、中にはクリントンのような人物や、ブッシュのような人物もいたにせよ、それでも、ブッシュ政権にあってさえ、大統領の威信は守られて来た。
現実世界ですらそうだったのだから、まして、アメリカの番組の中では、これまで、大統領という職業の高潔さ、名誉をあからさまに汚すような筋書きはほとんど見られなかった。

ところが、「24」ではローガン大統領は悪役であり、売国奴であったことが暴露され、弾劾裁判にかけられた。アメリカの番組がタブーを破って、自らアメリカの誇りである大統領の顔に泥を塗ったのである。これには驚いた。日本でも、「9.11」により国を売った男、ブッシュにローガンを重ねて見た人は多かったのではないだろうか。ひょっとすると、ブッシュを公然と非難できない人たちが、架空の筋書きに暗黙のメッセージを託したのかも知れない…。 
そして、パーマー大統領が、暗黙のうちに、オバマ氏に重なることも不気味な印象を与える。

「24」ではやたら黒人が登場することの不可解さに気づかれた方はどのくらいいただろう。これほど黒人が多数、しかも重要人物として登場する番組がこれまで他にあっただろうか? しかも登場する黒人という黒人がほとんど実に高潔な人間で、善玉で、悪役でないということが極めて不可解だ。今までハリウッドのB級、C級映画では特に、有色人種は常に悪者か、端役であった。ところが、「24」では、大統領だけでなく、弁護士など、登場する黒人たちがいずれも社会的に名誉ある立派な職業についており、重要な役割を果たし、物腰も洗練されて、言説にも信念があって、「カッコイイ」のだ。

何かの意図があって、特別に、黒人の良いイメージを視聴者に植えつけようとしてこのような配役構成になっているとしか筆者には思われなかった。とにかく、アメリカに実際に生きている黒人の大半を占める、貧しくて、教養のない、スラム街のチンピラのような人が一人として登場しないのは奇妙だ。

番組は、世界中の人種差別意識を、一挙に、短期間に排除しようとして意図的に製作されたのではないかと思われた。そのように考えると、「24」は、アメリカ初の黒人大統領を国民に受け入れさせるための心理的下準備の一つであったようにさえ思われてくる。筆者は、すでに述べたように、時代の進歩などまるで信じていないのだが、それでも、人々に時代が進歩して、人類の道徳意識が進んだかのように思わせたい者たちはたくさんいるようだ。そこで、進歩の証拠として、人種差別意識、民族的排外主義のような「野蛮な」風習は撤廃されたかのように宣伝する人々が現れるのではないか。

聖書的世界観に立つならば、そのようにして、人類の「進歩」を叫び、人類の「野蛮性」を駆逐し、やがて人類を「神の高み」にまで引き上げ、人類が「神に成り代わる」ために、争いのない社会を作ろうと、日夜、未来の幸福社会の実現に向けて、準備をしているような人たちがいる。彼らは人類の救済者を名乗るが、実質、人類の敵である。そんな人々によって建設されるのが人類最後のバベルの塔、最後のバビロンである。

(このことについて、クリスチャン・サイドから最も衝撃的な形で問題提起し、警戒を呼びかけているのは、「エレミヤの部屋」である。このサイトには筆者も大いに考えさせられるものがあった。その中の「つの笛」においては、聖書に登場する最後の大淫婦バビロン、獣の国はアメリカ国家そのものであると断言されている。

 このような主張は、アメリカのキリスト教界に疑うこともなくへ右へ倣えすることによって、これまで巨大な腐敗に落ち込んできたニッポンキリスト教界に対しては、厳しい警告となるだろう。
 しかし、筆者は思うのだが、きっと旧ソ連に暮らしていたキリスト教徒も、あの国で起こった恐ろしい現象を見ながら、これこそ聖書の言う終末の王国だと思ったに違いない。ヒトラー政権下のドイツに暮らしたクリスチャンもやはり、この国こそが聖書の言う獣の王国だと思ったに違いない。中国の文化大革命の最中にいたキリスト教徒も、この国は最後のバビロンだと思ったことだろう。今北朝鮮にいるクリスチャンもそう思っているかも知れない。
 …このように、世界史上、バビロンの飛び火現象はいくつもの国で起こって来たが、アメリカもその一つかも知れない。最後のバビロンはいまだ地球上に現れておらず、もしかすると、未来のヨーロッパ(ユーラシア大陸)に誕生する可能性が残っているのではないだろうか? もちろん、それは今のところ筆者のただの推測であるが。)

とにかく、一見、道徳的に見えるものの中に、一見、ヒューマニスティックなものの中にこそ、恐ろしい問題が隠されている。道徳的なきれい事はとことん疑ってみなければならない。現代はそういう時代である。
 

3.イラクの次は、イラン。アメリカで核が炸裂する日が近づいている。

さて話を戻せば、何より恐ろしいのは、「24」の物語の中で、核爆弾がアメリカで炸裂していることだ。筆者は驚いた。このような筋書きは、もはやアメリカ人による、アメリカに対する冒涜行為と言う他ない。番組が、アメリカの誇りである星条旗をズタズタに引き裂いて地に落としているも同然だ。

核の脅威を実体験している日本人でも、原爆被害者の心境を考えると、たとえフィクションであってさえ、他ならぬ日本でもう一度、核爆弾が使われるという生々しい筋書きを持ち出すことはためらわれる。そのような事態は誰も考えたくないし、日本人のトラウマを刺激し、心理的に容認できないため、そんなストーリーを作っても、多分、日本人読者の支持を全く得られないだろうと、作家たちは考える。

今になっても、アメリカが原爆を日本に投下したのは、倫理的な意味合いから白人に対してはとても使用できなかったので、日本人という「劣等人種」を実験台にしたのだという説が根強く存在している。
このように、白人に対しては未だ使われたことのない、人類の誇りを徹底的に陵辱する核爆弾が、他でもなくアメリカ国民に対して使われるという筋書きを、アメリカ人が自国民への娯楽番組として提供したとは、一体、何を意味するのだろうか…? 
これまでのアメリカ国民のプライドの高さ、尊大な自信、国への誇りに照らし合わせて、こんなことは、あり得ないことだ。今、アメリカの誇りがアメリカ人の手によって、引き裂かれようとしている…。

「剣を取る者は剣で滅びる」という法則に従えば、原爆という兵器を人類初に使用したアメリカが、それから60余年を経て、やがて自身が核爆弾の被害を受けることによってその威力を思い知ったとしても不思議ではない。先の記事に挙げた原爆パイロット、クロード・イーザリーも放射線被爆によって人体を冒されるという、まさに因縁としか言いようのない亡くなり方をしているのだ。
…いや、そんな宗教色の濃い、小説のようなプロット、因果応報の理由づけをあえて持ち出さなくとも、アメリカ本土に今、どれほど多くの基地や核兵器が存在しているかを考えれば、それが狙い撃ちされることは当然あり得ることだと思える。日本にあまたある原発も、沖縄の米軍基地に存在するであろう核兵器も、北朝鮮などに攻撃されれば一巻の終わりだと言われている。核兵器というものは所有しているだけで危険なのだ。

アメリカは、「9.11」を引き起こし、戦争のために自国民を売った。この先、この国が自国民に何をしたとしても不思議ではない。そして今もこの国はさらに戦争を起こしたがっている。イラクの次は、イランが標的になるだろうとの趣が強い。
たとえば、次の記事をあなたはどのようにご覧になるだろうか。

「『イスラエルに核の傘』 イラン核保有意識?オバマ氏検討と報道
2008年12月12日 朝刊東京新聞

【カイロ=浜口武司】イスラエル紙ハーレツは十一日、米国のオバマ次期大統領がイスラエルに、イランの核の脅威に対抗するため『核の傘』の提供を検討していると報じた。ウラン濃縮活動を続けるイランが核兵器を保有した場合に備えて、米軍の核抑止力による安全保障をイスラエルに広げる狙いだが、イスラエルではイランの核保有を絶対に阻止するとの“主戦論”が根強く米次期政権との溝が生じそうだ。<以下省略>」

(この新聞記事は「御一新マガジン、レスジェネ」の記事、「オバマ外交、泥沼へのロードマップ」 から引用。)


アメリカは大量破壊兵器の存在を理由に、フセイン政権下イラクに闘いを挑んだ。今また、イランの核保有という脅威を触れ回ることで、今度はイスラエルを焚きつけて戦争を起こそうとしかけているのだろうか。

恐ろしいことに、近い将来、アメリカ+イスラエルvs.イラン戦争が勃発するという危険を最も匂わせているのは、アメリカのプロテスタントのキリスト教界の聖職者の言動である。アメリカのプロテスタントのキリスト教界はかつて、イラク戦争を「聖戦」になぞらえ、こぞってブッシュ政権支持、戦争支持に回った時点で、明らかに、すでに公然とキリストを捨てて、国家の政策のお先棒をかつぎの役割へと堕落する道を選んだ。
それまでは政教分離の原則に従って、政治とは一線を画す趣が強かったキリスト教界は、イラク戦争以来、血に飢えた政府(国防総省)の利益のために、国民心理を新たな戦争へと準備させるための御用聞きの機関のようになってしまったのだ。

筆者が過去の記事の中で引用したデイビッド・ウィルカーソン氏ももはや全くその点で信用ならない人物となっていたことが判明した。筆者はよく知らずに彼の名を記事で用したことを陳謝せねばならない。
「マルコーシュ・メールマガジン」坂達也氏のレポート(2007年6月)は、デイビッド・ウィルカーソン氏の主張について次のように述べている。「彼は既にアメリカが世界のスーパーパワーである時代は過ぎ、今世界のスーパーパワーは中国に移行していると言う事実、また、既に核を保有するイランの大統領をヒトラーに匹敵する気が狂った男(マッド・マン)としてとらえ、彼が世界を大混乱に陥れることを一大使命として、今着々とその準備を進めていることを指摘しております。<中略>ウイルカーソン師は大災害が起こることは時間の問題であり、今こそクリスチャンは聖書に書かれている艱難の時が迫っていることをはっきりと認識しなければならないと説きます。」

 イランの大統領をヒトラーに匹敵する「マッド・マン」と呼び、イランがアメリカどころか世界を破滅させるために画策していると、イランの非道行為をしきりに訴えるウィルカーソン氏は、聖書に述べられている大艱難に向けてクリスチャンの心を整えているというよりは、むしろ、アメリカのクリスチャンたちの心を再び、石油利権がらみの中東でのイラン戦争に向けて整えようとしているだけではないだろうか?
 彼は再び戦争が起こることを覚悟するよう、今度こそ、アメリカ本国が「大災害」に見舞われることに準備するよう、アメリカのクリスチャンに呼びかけているだけではないだろうか?

 一体、アメリカは何人の国家元首を一方的に「マッド・マン」呼ばわりすれば気がすむのだろうか? 「世界を大混乱に陥れることを一大使命として、今着々とその準備を進めて」いたのはあなたたちの前大統領ではないのか?と言いたくなる。
 ここで、筆者も以下の記事の中で、カルト被害者救済活動をしている架空の甲師を反キリストにたとえたことを反省せねばならない。誰がキリスト者で、誰が反キリストか、最終的に判断する力を持っているのは、神ご自身のみである。そのことに敬意を払って、私たちは合理的疑いを持ちつつも、自分の判断だけで、他人に対する最終判決を出さないようにしなければならない。反キリスト、そんな言葉を個人の判断でうかつに使うからこそ、泥沼の宗教裁判が起こるのだ。

 一体、誰が他人を簡単に狂人扱いして精神病院にぶちこんだり、反キリスト扱いして火あぶりにしたり、一国を悪の枢軸呼ばわりして攻撃をしかけたりして、虚しい「正義」のための泥沼の戦争に、罪もない無関係な市民まで引きずりこんで、命を落とさせる権利など持っているだろう? 誰かが他人を「マッド・マン」と呼ぶなら、その証拠をきちんと出さなければならない。でなければただの誹謗中傷としかみなされなくて当然だ。

 確かに、反キリストや偽預言者はこの世にあまたいるだろうし、それらの人物がひどい行為を行っている場合、クリスチャンがそれを明るみに出して、「この人物は信用ならない」と、世の中に警戒を呼びかけることは必要なことだ。だが、そのことと、自分が神の使徒を名乗り、正義の人であると自称して、この世からあらゆる反キリストを駆逐するために、戦争を仕掛けて歩くことは全く別問題だ。
 浅はかな勧善懲悪を呼びかけるような運動は全く信用できない。心底、警戒が必要だ。

 核保有の疑いが昔から強かった北朝鮮の国家元首には長年、手も触れずにおきながら、中東の国家元首にだけは素早く警戒を呼びかけるアメリカ。そんな国家政策のお先棒をかついでいるアメリカのキリスト教界とは何なのだろうか…。

 「エレミヤの部屋」が早くから訴えてきたように、ニッポンキリスト教界の腐敗、カルト化のあらゆる原因は、本当に、アメリカの教界から来ているという疑いが、筆者にはかなり濃厚に感じられるようになってきた。長い間、疑いもなく聖霊派にどっぷり漬かっていた筆者は、そのような「霊的」現象を見聞きしてきただけに、ここで目を覚まし、このブログで今後、この種の問題の危険性を取り上げて行かねばならない。本当は、筆者は、カルト化の問題はもうこりごりで、できるならもう記事を書きやめたいと思っているのだが、当分、このブログを閉じられそうにない状況になって来たように思う。

 ウィルカーソン氏の主張を聞きながらも、やはり核の脅威がアメリカに迫っていると筆者は感じる。アメリカ本国が攻撃の対象となるような戦争が、少しずつ、あの国に近づいて来ているのではないだろうか。
 このような文脈に立って、以下の記事を見ると、誰しも、背筋に悪寒が走るものと思う。

「ジョージア州に用意された50万体分の棺桶」 (「神と悪魔の狭間で」の記事。内容は記事最下部を参照。)

 誰かがアメリカを、そして全世界をあざ笑っているとしか筆者には思えないのだ。売国奴的ブッシュ政権により、アメリカ大統領の威信は汚され、地に堕ちた。その上、アメリカ国民は未だイラクに娘や息子を兵士として送り続けて死なせているというのに、その戦争も終わらないうちに、今度は彼らに、バラク・オバマ氏という、一見、ムスリムと見まごうような名前を持った、黒人の「フセイン大統領」が与えられた。その「フセイン大統領」の下で、アメリカ国民はこれから何か未曾有の困難に直面しようとしている…。
 一体、この筋書きは誰が書いているのだろう? 「あざける者たち」の笑い声が耳に聞こえてくるような気がしてならない。

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2009/01/24 (Sat) 社会問題